海辺の美酒を求めて
日本という国に酒がなかったら、あるいは、酒の原材料である米がなかったら、日本の文明はここまで発達していなかったかもしれない。なんということを、美酒に出会うたび酒飲みはしみじみ思う。そしておそらく能登の人も、うんうんと、同感してくれるのではないだろうか。
「世界農業遺産 能登の里山里海ポータルサイト」によると、能登半島だけでも20ちかい酒蔵があり、銘柄は100を超えるそうである。味と香りは芳醇系と称されており、味は甘口から辛口までさまざまだ。
そんな能登の酒造りを支えてきたのは、能登杜氏を中心とした蔵人集団である。能登杜氏たちは、普段は農業を営みながら、冬の農閑期のあいだ全国各地へ移動し住み込みで酒造りを行う。この制度は、江戸時代の中期からはじまり、現代まで続いているという。能登杜氏は味の濃い酒を作るのが得意とされているそうで、その技術の高さは日本四代杜氏のひとつとでもある。そんな能登杜氏発祥の地が、ここ能登町だ。
能登半島のほぼ先端に位置する能登町は、寒ぶりで名高い宇出津港や日本有数のイカの漁獲高を誇る小木港などの港を持つ。面積は273,27kmで、能登半島では2番目に広いが、人口は約17,000人(2020年現在)。決して大きいとはいえない町でありながら、造り酒屋が3つもあるというのだから驚いてしまう。
酒蔵はその立地を見れば誰のために酒造りをしているのかがわかるが、能登町の3酒蔵はいずれも、港が近く海の香り漂う商店街、消費者に近いところに立地している。
新酒の仕込みまっただなか、海辺の町の美酒を探して酒蔵をめぐる。
松波酒造
寒い雨の滴る冬空のもと、まず訪れたのは、能登町松波にある松波酒造である。街道沿いに建つ風格ある母屋には、酒造の代表銘柄である「大江山」の暖簾がなびいている。
ガラガラと引き戸をひくと、「はーい」と明るい声。「今日はちょうど、わたしが一番好きな酒を搾っているところ」と、快活な様子で迎えてくれたのは、若女将。酒蔵見学の初心者としては「一番好きな酒を搾っている」という言葉に首を傾げてしまったのだけれど、「ともかく見学しましょう」という若女将に従い、蔵へと進む。
「うちは本当に目の届く範囲で」と若女将がいうように、松波酒造の酒蔵はこじんまりとしている。説明を聞きながらぐるりと蔵をまわるのにかかるのは、15分ほど。テンポよく説明をしてくれるので、酒づくりにくわしくない初心者でも存分にたのしめる。長年の経験から計算され整えられてきただろう、タンクや作業場の配置は、見学していても体にすんなりと馴染む動線で、心地が良い。明治元年(1868年)の創業以来ずっと使い続けているという道具たちも、すべてきちんと手入れされ、気持ち良さそうに定位置についている。
各所に設置されたQRコードを読み取り、その日は行われていない作業の動画を眺めたり、タンクの中でふつふつ呼吸する酒母をたしかめながら最後にたどり着いたのが、本日の目玉、「ふなしぼり」である。
さてここで一旦、若女将に教わった話をもとに、日本酒の作り方を簡単に説明しよう。
日本酒づくりはまず米を精米するところからはじまる。この精米具合によって大吟醸、吟醸と呼び名がかわってくる。それぞれ造る酒に合わせて研いだ米は、浸水させたのち、釜で蒸す。蒸しあがった米は、麹室(こうじむろ)と呼ばれる部屋に運ばれ、麹菌をまぶしてわっせわっせとまぜられる。高温にした室に一定時間置いておくと、微生物が米に繁殖し、麹(こうじ)ができあがる。その後、タンクに蒸米と水、できあがった麹、さらに酵母菌を加え培養する。これが、酒母(しゅぼ)とよばれる酒の元になる。この酒母は文字のごとく酒の母で、日本酒の味の本質を決めるもの。泡立つのは酵母が元気に増殖している証拠でもある。
ところで、なんで麹と酵母と二つの菌が入るのかという疑問がわいてきますね。これは、麹、酵母それぞれの役割がちがうから。麹菌は米のデンプン質を糖化させる役割、酵母菌は自分ではデンプン質を糖化できないけど糖分をアルコール発酵させる役割をもっていて、日本酒造りでは、それぞれの菌が連携プレーを行っている。だから、酒母、蒸米、麹、水を合わせるとデンプン質の糖化とアルコール発酵が同時に起こり、日本酒の原型であるもろみができあがるのである。そして、この、もろみを搾ってできた透明な液体が、日本酒となる。
最後の搾り作業にはいくつか方法があり、松波酒造では創業以来「ふなしぼり」という方法をとっている。
ふなしぼりは、「ふね」と呼ばれる木製の細長い酒の槽に、もろみを入れた布袋を重ねて、上から圧力をかけてじっくり搾る搾り方。ゆっくり圧をかけるので出来上がりまでに時間が少々かかるし、1日目、2日目と味も濃さも変化するのである。(最終的には一つの樽に混ざり合う)
寝る間も惜しんで酒造りをつづけてきた蔵人さんたちも、酒を絞る間はわずかなお暇をとるそうで、しとしと滴る酒の音に耳を傾けていると、自然の重みに身をまかせて搾られる酒を待つこの時間は、作り手たちにとって、心身を整える貴重な時間なのかもしれないなと思う。
見学者は、搾りたての酒を飲むことはできないが、若女将のご好意で香りだけかがせてもらう。少し顔を寄せるだけでも、熟れる直前の爽やかさな果実の芳香が包み込む。なんとみずみずしい!甘さがありながら凛として上品。これは単純にフルーティーとかバナナと表現してしまうのはもったいない。若女将さんが「一番好き」と言っていた意味が、香りを通してひしひしと伝わってきた。
さて、母屋に戻り、待ちに待った試飲タイムである。「角打ちスペースも作ったのよ」と若女将が指す「松波Bar」と書かれた引き戸をあけると、中庭を改装した秘密基地的なスペースがのぞく。冷えた空気が心地よく、見上げると北陸の鈍色の空から雨が滴り落ちる。のんべえたちにとっては外の風を感じながら角打ちを楽しめるなんて、このうえない贅沢。ほてる顔を冷やしながら、永遠に飲み続けられそうである。
試飲は無料で、3種類、お猪口で利き酒ができる。角打ちは550円で3種類の酒をグラスいっぱい、たっぷりと味わえる。あいにくの雨で母屋の中で立ち飲みだったが、それもまた風情。ガラス戸の向こうの町並みを眺めながらの一杯なんて、気分は江戸の酒場である。
「ワイングラスで飲むと、また香りが全然違うんですよ。さ、どれからにする?」と若女将がいうので、これは本腰を入れるしかない。大吟醸、純米酒、リキュールまで存分に楽しみ、お土産も購入し、上機嫌である。
何より印象的だったのは若女将ご自身が、松波酒造の酒が好きでたまらないという感じがすること。決められたセリフをいうのでなく実感こもった説明を聞きながらの飲み比べに、時間はあっという間に過ぎてしまう。「お客さんが長居しちゃうんですよね」と笑うけれど、 その人柄に、ついついこちらもほっと、腰を下ろして(立ち飲みでも)しまうのである。
数馬酒造
次に訪れたのが、創業は1872(明治2)年、宇出津港のすぐそばにある数馬酒造である。
地元でも「あばれ祭りの味」と馴染みの深い銘柄「竹葉(ちくは)」を代表とする酒蔵で、古くから能登町の人に愛されている。「竹葉」世界最大級のワインコンクール「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2015」のSAKE部門で賞を獲得するなど、世界からも注目されている酒だ。
日本酒は、そもそも米と水と麹というシンプルな素材だけで作られる酒で、その地の米、その地の水の味がダイレクトに反映される。ワインでいうところのテロワールであり、それこそ、地域ごとの酒をたのしむ醍醐味につながったりもする。交通も情報も便利になった昨今では、よりおいしい酒を追求し、全国から米を仕入れる酒蔵も増えた。それでも、数馬酒造では、メイド・イン・能登にこだわり続けているという。
「うちの酒の原材料は能登のもの。旧柳田村の湧き水、能登半島の契約農家さんの酒米を仕入れています。能登に対する意識は、強いんです。」
若干33歳(2020年現在)の嘉一郎社長はそう、きっぱりと答えてくれた。能登に来たかいがあったというもである。
ところで数馬酒造は代表酒といえば「竹葉」なのだけれど、ウェブサイトを見るだけでも多品種を扱っていることがわかる。限定酒も多く、パッケージのデザインは、どこか洗練されいてる。なぜだろう。
「うちの特徴はやっぱり、杜氏も蔵人も全員が社員だという点です。社員は2020年現在、平均年齢30歳と若い。企業として安定した仕事づくりをすることが、うまい酒づくりにとっても、能登にとっても、大事だと思っています。」
そもそも日本酒界では、蔵の主である蔵元は基本的に酒造りをしないものだった。冬場にやってくる杜氏が完全に請け負う形だったし、これまでの酒造りは「季節もの」として行われてきた。けれど、技術の進歩で冬の間も農業ができ、あるいは、そもそも農業を仕事にしない若者が増えた。その分、冬の間だけ駆り出される酒造りを担う人手も減ってきた。杜氏も高齢化が進み、このままでは技術継承が危ない。そんな危機的背景から、蔵元自らが杜氏になる「蔵元杜氏」や、蔵元が杜氏や蔵人を社員として雇うというスタイルが生まれてきた。数馬酒造も、杜氏や蔵人を社員として雇う形をとっている。年間を通じ安定した仕事を生み出すため、醸造のテクニックをいかしたリキュールづくりや醤油づくりも行っていて、もちろんすべて能登の原材料にこだわるのが、数馬酒造流である。
さらにユニークなのは、醸造課の社員が一人1タンク、自由にお酒を仕込むことのできる「責任醸造」という制度を設けていること。そのため、毎年限定酒として、若手の熱い想いがこもった酒が登場する。
きっと彼らは「こういう料理に合わせたい」だったり、「あの子に飲ませたい」だったり、「これとこれを掛け合わせたらどうなるんだ?」だったり、ともかく疑問やワクワクをすべて一つのタンクに注ぎ込み、文字通り丹精込めて酒を育てているだろう。仕上がりは良くも悪くもムラがあるかもしれないが、往々にして、イノベーションは画一されない状況で、純粋な探究心と前例のないものが生み出すものである。
最後、蔵に隣接した試飲スペースでいただく酒は、どれも、ともにいただく料理やその酒を飲むシーンのイメージを膨らませてくれる、夢のある酒だった。さらにすべて能登産のもので仕上がっていると聞くと、つい目をとして、今来た道をなぞりながら、稲穂が揺れ、清流の流れる情景を想像したくなった。
試飲スペースは販売も兼ねていて、試飲の間じゅう、絶えることなく地元の人が訪れる。地元の人に愛されてきたからこそ、地域に還元したいという想いにつながり、その活動がまた地元に愛されるということにつながる、良い循環がめぐっている。トラディション・イノベーション、数馬酒造である。
鶴野酒造店
最後に訪れたのは、能登町鵜川の鶴野酒造店である。冬でも穏やかな情景の内浦沿いの道を入ってすぐ、古い商店街に位置する酒造である。隣の魚屋では、肉厚の魚がずらりと干され、冬晴れの空の下、日向ぼっこする猫とおばあちゃんがまぶしそうに空を眺めている。
鶴野酒造店は石川県では唯一、女性杜氏が酒づくりを行う酒蔵で、次女が杜氏、お母さんが女将を務め、長女が蔵人、長男は蔵人兼代表という、アットホームな蔵である。昔ながらの道具で、手づくりにこだわった酒造りを続けており、仕上がった酒はブレンドしないので、良い意味でゆらぎのある味がたのしめる。一方、徹底的な低温管理は先代からこだわっており、年間を通じて安定した酒を味わうことができる。
「うちの最大の特徴は、やっぱり女性杜氏というところです。女性ならではの細かい気配りと繊細な感性があるので、苦味や雑味は減ったと思います。地元の人に満足してもらう酒はもちろん、女性杜氏ならではの視点で、女性が飲みやすい酒も造っていきたいんです。」
この日は一年で一番ともいえる繁忙期で、酒蔵見学は断念。そのかわり、無理を言って、代表の晋太郎さんに少しお話を伺っていた。そのあいだ、何度も地元の人がガラガラと引き戸を開けて店を訪れる。みんな「こんにちは」というより、「いる?」という感じやってきて、晋太郎さんも「はいよっ」という感じで対応しているので、まるで親戚のようである(本当に親戚だったのかもしれないけれど)。ともかく、「地元に親しまれている」というかしこまった言葉よりも、たった一言の「いる?」の説得力は大きい。囲炉裏のある部屋ではぜる火を眺めながら、ゆっくりと待つ時間は、なかなか心地がよかった。
「目指すのは、究極に和食に合う日本酒です」
鶴野酒造店のお酒はどんな食事と楽しんでほしいか、という最後の質問に、晋太郎さんは澄んだ目でこう答えてくれた。
「日本酒は飲みやすいし、いろんな料理に合わせられるけど、うちの酒は、おいしい魚と一緒に楽しんでほしいんです。とことん和食にあう酒を造りたい。」
昨今、和洋折衷さまざまな料理に合うというのが日本酒の評判なので、わりと予想外の答えだったが、「究極に和食にあう日本酒」。なんともハードボイルドで、素敵な響きである。何にでも合うという万能性も魅力だけど、突き詰めて「和食といえばこれだよね」と言える日本酒ができたら、ともかく飲んでみたい。好奇心もあいまって、自然に応援したくなるのであった。
鶴野酒造店では酒蔵見学は4月〜11月のみ受け付けており、説明を含めて20分ほど。1週間前までに予約が必要だ。試飲は500円。なんとその時ある酒、すべての試飲ができる。
素直な香りと風味、口触りはとても柔らかく飲みこごちが良い。そして、和食に合わせてみると・・・和食によくあう。というよりも、和食の魅力をさらに引き立てる酒なのである。主張は強くないが、そっとそこにいてくれる安心感があり、もちろん酒も食も進む。ふと、「究極に和食に合う日本酒」という言葉が頭をよぎる。そして、「鶴野酒造店のお酒=究極に和食に合う日本酒=能登の人そのもの」という図式が浮かんでくる。やっぱり、酒は人が醸すものなんだ、とあらためて噛みしめるのであった。
能登人肌合いの酒
能登半島は世界農業遺産にも認定された多様な生物が生息する半島である。そしてその多様さはどうやら日本酒造りにも反映されているらしい。
同じ町なのだから違いも少ないだろうという先入観はさっさと打ち砕かれ、それぞれに個性豊かでバラエティに富んだ味を存分に楽しむことができた。時期によっても飲めるお酒が違うので、また訪れたいと思わせてくれる酒蔵めぐりである。
どの蔵でも変わらないのは、みんな酒が好きなんだなということだ。訪れた蔵では、誰もが、心からうれしそうに自分たちの酒について話をしてくれたし、その言葉には、商品ではなく親しい誰かについて語る時のような、確かなぬくもりがこもっていた。そんな風に自分たちの造るものを語れることって素敵だし、本当においしいものは、そういう心から生まれるんだろう。
だから冬の曇天の中での旅だったはずなのに、なぜか思い出はいつも澄んだ青空である。お酒の味を思い出し、能登の旅を締めくくるのもよいのかもしれない。。
記:鶴沢 木綿子