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キリコが乱舞し、人々が熱狂する。祭りの聖地を訪ねて。

農山漁村に伝わる
祭りの文化

日本海に突き出た能登半島。その地理的な特徴から、大陸と日本をつなぐ海の玄関口として栄えた石川県の能登地方には、独自の文化や風習が多く残されており、そのひとつがキリコ祭りで、約170の地区で催されています。

主役となるのはキリコと呼ばれる御神燈。神様が鎮座する神輿の先導役として、威勢の良い掛け声をあげながら町内を練り歩きます。氏子衆に担がれてゆらゆら揺れる灯りはとても幻想的。形やサイズなど地域によって特色が違うのも見所です。

「能登はやさしや土までも」と形容されるように、素朴で温かい人柄で知られる能登人。そんな彼らも我が在所の祭りとなると、夜を徹して勇敢に振る舞います。キリコ祭りは能登人の誇り。自分たちの生業を守るために捧げる純真な祈りの精神、受け継がれた風習を守りたいという願い、町内では氏子衆の力比べ、町同士では財力の競い合い。そんな思いを込めながら、年に一度の祭りに全身全霊を捧げます。

「灯(あか)り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」として日本遺産に認定されて以降、日本国中から見物客が訪れるようになった能登キリコ祭り。それでは私たちも、熱狂と幻想が渦巻く、非日常的な世界を体験してみましょう。

あばれ祭

祭りの先陣を切る
宇出津のあばれ祭

能登半島の最北端、奥能登に位置する能登町。古くからの農漁村文化が色濃く残るこの町では、シーズンになると毎週のようにキリコ祭りが開催されます。それは厳しい自然の中で豊かな恵みを神々に感謝し、粘り強く暮らしてきた先住人の思いによって、自然発生的に数々の祭りが能登町内に産み落とされたからなのかもしれません。

7月の第1金曜日。寒ぶりで知られる能登の港町、能登町宇出津を訪れました。いくつもの屋台が立ち並び、地元の人々や観光客でにぎわう商店街。今日は能登のキリコ祭りの先陣を切る、宇出津八坂神社の祭礼〈あばれ祭〉が行われる日です。

あばれ祭の起源は、遡ること江戸時代。この一帯で疫病が流行したときに、人々の病気を次々に治した大きな蜂を神様の使いと感謝し、キリコを作って練り歩いたことが始まりと伝えられています。キリコや神輿が激しく暴れ回る様子は、能登キリコ祭りの中でも飛び抜けて豪快なことでも知られています。

朝から晩まで、笛と太鼓の音が鳴り響く(あばれ祭)

町を歩いていると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてきました。「テテンコテンテン、テコテンテン」という一定のリズムを刻みながら練り歩くキリコと氏子衆。キリコを乱舞させるためには一糸乱れない動作が必要で、その動きを導くためにキリコの上に乗った子どもたちが太鼓を叩き、鉦(しょう)を鳴らし、笛を吹いて調子を合わせています。

1日目のクライマックス。松明の周りを所狭しと回るキリコに圧巻。(あばれ祭)

夕方には約40基のキリコが、港の東にある棚木海岸に勢ぞろい。ここから初日のクライマックスである宵祭りが始まります。21時に花火が打ち上がると同時に、キリコは「いやさか広場」を目指して出発。燃えさかる5本の柱松明の周りを「イヤサカヤッサイ、サカヤッサイ」の掛け声とともに、深夜近くまでひたすら乱舞します。

燃え上がる炎を避け、降りかかる火の粉を振り払う氏子の中には、若い女性の姿もありました。話を聞けば、この日のために仕事を休んで東京から帰省したとのこと。祭りのために地元に帰ることは、私たちが正月や盆に帰省するように、能登町では当たり前のことなのです。

2日目の主役は神輿。キリコを前後に従えて「チョーサ、チョーサ」の掛け声とともに、地面に叩きつけ、川に投げ込み、火の中に放り込みます。ハイライトは梶川橋の上から川に投げ込むシーン。男たちが次々と入水し、水の中でもみくちゃにしながら神輿を容赦なく痛めつけます。

まるで生きているかのようにあばれ狂う神輿(あばれ祭)

あばれ神輿(あばれ祭)

川の中に投げ込まれあばれる神輿(あばれ祭)

そこまでするのは、八坂神社の御祭神である牛頭天王が勇ましい所業を好むとされるため。氏子衆は神様を喜ばせる一心で勇敢な振る舞いをしているのだそうです。神輿が拝殿に納められたのは深夜2時。ようやく祭りはフィナーレを迎えました。

神輿を八坂神社へ納める様子

2日間、町内を周り、火の中水の中とあばれたお神輿は、無事、八坂神社へ奉納される

 

武者絵が乱舞する
にわか祭

8月最終週の土曜日には、定置網漁が盛んな鵜川地区へ。この地に伝わる漁師の祭礼〈にわか祭〉は、袖キリコの中でも一風変わったキリコが出ることでも知られています。

町の中心に位置する菅原神社に到着すると、早速お囃子が聞こえてきました。太鼓と鉦による軽快なリズム。それはこれまで各地の祭りで聞いたどのお囃子よりも速く、まるで良質なドラムンベースのような中毒性をもって、いつのまにかその場にいる私たちをトランス状態へと導いていました。「にわか祭は日本最古のテクノフェスや」と、地元の若者たちも嬉しそうに話しています。

9基のにわかが円をなし、1基ずつ乱舞する。にわか祭

にわか祭の始まりは寛永年間。不漁や海難事故が続いたため、海の女神である弁財天を祀る海瀬神社に、豊漁と海上安全を祈願し、凛々しい武者絵を描いた行燈を担いで奉納したのが由来とされています。祭り当日に鵜川の街中を練り回るのは、にわかと呼ばれる9基の大奉燈。ほかの地区のキリコのように神輿のお供ではなく、御幣を使って神様を乗せているのが特徴です。

にわか祭は、勇壮華麗な武者絵を描く絵師の存在なしには語れません。「にわかは神様に捧げるもの。人じゃないものを神様には奉納できないので、人間と同じように裸の姿から描きます。そこから着物を着せたり、道具を持たせたり。武者絵を仕上げるまでに一年はかかります」とある絵師さんが話すように、人の姿を忠実に描くというプライドが、代々の絵師から継承されてきたことが分かります。

勇壮華麗な武者絵は圧巻

勇壮華麗な武者絵は圧巻

代々継承されてきた絵師の技も見どころの一つ

各町内が創意を凝らした武者絵を、地元の住民や見物客が品評し合うのも楽しみのひとつ。祭りが終わるとにわかや御幣は豊漁安全のお札として、鵜川の漁師の船や神棚に飾られるといいます。

祭りが佳境に入るのは深夜0時を回った頃。鵜川大橋を渡って宮入りしたにわかが、海瀬神社の境内で太鼓や鉦に囃されながら、激しく乱舞をし始めます。今にも壊さんかとばかりににわかを揺さぶる氏子の表情は、まるで自分が生きていることを確認するかのような鬼気迫るものがあります。

「たとえば携帯の電波が悪かったり、リモコンが効かなかったり、倒れている人がいたりすると、日本人は本能的にそれを揺さぶることで活力を呼び覚まそうとします。振るという行為は、私たち日本人の命を高めるものであり、神様にとってのご馳走もあるんです」と話すのは海瀬神社の宮司さん。命の大切さも伝える祭りは、明け方近くまで熱狂が続きます。

とも旗祭り(小木)

キリコだけではない
能登町の祭り

能登町は大きく分けて、宇出津、鵜川(瑞穂)、柳田、小木、松波という5つのエリアで構成されています。

内陸部にある柳田地区では、高さ13メートルにもなる大キリコが暗闇の中を静かに巡回する〈柳田大祭〉を開催。正面に吉祥文字、背面に神紋だけが描かれたシンプルなキリコは、漁師町の祭りとはまた違った、能登の里山らしい素朴さを伝えています。昔ながらの和ろうそくの明かりが揺らめく光景も、柳田大祭の大きな特徴です。

柳田大祭

柳田大祭

イカ漁で有名な小木地区では、春になると海上の安全と豊漁を祈る〈とも旗祭り〉が行われます。舞台となるのは小木港の近くにある御船神社。5色の吹流しと高さ20メートルの大のぼりを掲げた9艘の船が、笛や太鼓の音に合わせて湾内をかけめぐります。

とも旗祭り(小木)

キリコ祭りが主流の能登において珍しいスタイルのとも旗祭りですが、シンボルでもある大きなのぼりは、地元の住民が約500枚の紙をつなぎ合わせ、金銀の紙を貼ったり、色を塗りながら、鮮やかに仕上げているそうです。

能登町の最北端、珠洲市との境に位置する松波では、キリコの前面に飾られた人形の見栄えを競い合う〈松波人形キリコ祭り〉が開催されます。歴史上の人物や新旧のキャラクターなど、各町内が独自のセンスを発揮しながら人形を作り上げます。

松波人形キリコ祭り(松波)

神事を終えると、神輿を先頭に大小14基のキリコが列をなし、町内を巡行。午後2時からは人形の審査が始まります。夜になると人形はライトアップされ、昼間とは違った表情を見せてくれます。

ほかにも餅をけなして豊作を祈る〈いどり祭り〉や、ふんどし一丁で酒樽を奪い合う〈酒樽がえし〉など、能登町内では年間を通して個性豊かな祭りが催されています。

いどり祭り(鵜川)

酒樽かえし(藤波)

白丸曳山祭り(白丸)

波並大祭(波並)

どいやさ祭り(姫)

「ヨバレ」の風習が
教えてくれるもの

能登の祭りを語る上で欠かせないのが〈ヨバレ〉といわれるもてなし文化です。ヨバレとは、祭りの日に親戚や知人、仕事でお世話になっている人らを自宅に招いて〈ごっつぉ(ご馳走)〉をふるまう風習のこと。集まった人たちが酒を酌み交わしながら、話に花を咲かせます。

能登の豊かな食材を使ったごっつぉは各家庭の渾身作。女性たちは祭りの数日前から準備にかかり、男衆がキリコを担ぐ間も何十人分もの料理をせっせと仕度します。

キリコ祭りの当日に町内を歩いていると、玄関先に提灯を下げた家をよく目にします。これは「ヨバレやってます」の意味で、招待客の目印にもなっています。

この日は、宮地地区の祭りでヨバレを体験。奥様と思われる女性の案内で廊下を抜けると、数十畳はあろうかという客間には40人近くの人たちが集まり、すでにヨバレが始まっていました。その光景は正月や盆の親戚の集まりのようで、膳を一緒に囲むことで絆を確認し合い、親睦を深める大切な場であることを感じました。

近所のおじさんたちに混じりながら楽しい酒を飲んでいると「昔はヨバレをする家の者が、餅やおはぎを詰めた重箱を持って”どうぞヨバレてください”と招待して回ったもんや」と、町の人が教えてくれました。本来ヨバレはだれでも参加できるものではなく、招かれた人たちだけで集まるものなのです。同じ席には能登町にゆかりのないドイツ人男性の姿もありましたが、家主さんと数年にわたって交流を重ねるうちに誘われるようになったそうです。

ヨバレの様子

鵜川のにわか祭でもヨバレを体験しました。この日は縁があって、数軒のヨバレに参加。いわゆるヨバレのハシゴです。また、この祭りでは、とくに子供たちの姿をよく見ました。「ヨバレは社会勉強。子供たちはこの席を通じて人との付き合い方を学ぶんや」という町の人の声。たしかに能登町を旅していると、地元の人々の卓越したコミュニケーション能力に驚かされることがあります。

子どもの頃からヨバレに参加することで、もてなしの本質を理解することができるようになるのか。それとも、ヨバレに参加する大人たちの立ち振る舞いを自然と吸収しているのか。いずれにせよヨバレが子供たちの人格形成に役立っていることは間違いなさそうです。

最後に。じつは今回、ある祭りで人手が足りず、助っ人としてキリコを担ぐという経験をしました。練り歩くこと一時間。疲労困憊でしばらく動けなかったものの、終わったときの達成感は相当なものでした。皆で回し飲んだお酒の味も忘れられません。

私たち一行が能登町を訪れるようになったのは3年前。最初の年は祭りを見るだけでしたが、翌年は地元の人と話すようになり、今年はヨバレに誘われ、運良くキリコも担ぐことができました。それはなぜか。きっと何度も訪れることで、町の人とのつながりが自然に構築されていたからではないでしょうか。そして、それは能登の祭り文化を深く知るための、手助けにもなりました。

来年は果たしてどのような祭り体験ができるのか。今から期待が高まります。

記:吉岡 大輔

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