約4,000年の歴史に想いを馳せる
街にいると季節を実感する瞬間といえば、天気予報かコンビニのメニュー。朝の天気予報を見て長袖から半袖に変更したり、おでんが出たら「もうそんな季節か」としみじみしたり……。そんな風に季節はいつの間にか変わっていくものだと感じている人も多いのではないでしょうか。
人々ははるか昔から、季節の移ろいと共に、自然と共存して生きてきました。今から約6,000年前、縄文時代に生きた人々もおなじ。自分たちの手で食料を集め、文化を形作っていった縄文人たちは、どのような暮らしをしていたのでしょう。今回は約4,000年にわたり縄文人が長期定住した「真脇縄文遺跡」をご紹介します。
真脇遺跡で知る縄文文化
自生する植物や野生動物を食料としていた縄文時代。多くの土地では、ある程度生活すると資源が枯渇します。食べるものがなくなると、別の土地に移動して、しばらくしてまた枯渇したら元の土地に戻ってくる……というサイクルを繰り返していました。
しかし真脇遺跡では、縄文時代前期初頭の約6,000年前から2,500年前まで、約4,000年にわたって人々が同じ土地で生活していたことが分かっています。移動せずに済んだのは、食料が豊富に手に入り、人々が生活するために必要な環境に恵まれたから。
さらに真脇遺跡は地下水の水位が高く、当時の骨や土器などが水に浸かったため、腐らずに良い状態で見つかりました。さまざまな条件が奇跡的に重なって現代に残された縄文遺跡。「真脇遺跡縄文館」の展示室には、国の重要文化財に指定されている出土品が数多く展示されています。
まず目を引くのが、大量のイルカの骨。縄文時代では、現代の私達が主食とするお米も、野菜も、まだ「栽培」は行われていません。そのため縄文時代を生き抜くためには、「いかに食料を調達するか」が最も重要な課題でした。そこで真脇の縄文人が生きていくために見つけた食料が、イルカです。
通常イルカは深い海底に生息するため、捕獲するのは大変です。しかし真脇の海では海底の地形が急に深くなるため、海岸の近くまでイルカが来ていました。これに目をつけた真脇の人々は、イルカを捕まえたり調理したりする技術を開発し、イルカを食料としました。
真脇遺跡からはおびただしい数のイルカの骨が発掘され、出土した骨には石器の先端が突き刺さっていたり、解体されたような形跡があったり……イルカを食した工程が伺えます。漁と農を生業とする現代の能登町。同じように、ここで暮らした縄文人たちもイルカ漁で命をつないでいたのです。
縄文時代の土器には、とても細やかな装飾が施されています。これが弥生時代に入ると、実用性と効率化が重視され、現代の工業製品に近いシンプルな形になりました。「縄文時代の人たちは、造形とか模様の配置で何かを表現していたんじゃないかな」と真脇遺跡縄文館館長の高田さん。現代で地域によって異なる特産物や文化があるように、縄文時代にも土地ごとに独自の文化がありました。土器の装飾にも、その土地の特徴が表れるそう。まだ文字がなかった時代、土器の装飾は自分たちの世界観を表現する貴重な手段だったのかもしれません。
目で見て体験して学ぶ歴史
縄文館に隣接する体験村では、縄文文化を実際に体験できるさまざまなプログラムが用意されています。古代米づくりや干し柿づくりなど、季節ごとに縄文文化を体感できる催しを開催。人気の土器づくり体験では、縄文時代と同じ方法で粘土から成形し、自由に模様をつけます。形作った土器は9月下旬頃に野焼きするため、体験するタイミングは7~8月ごろがベスト。早めの予約がおすすめです。その他にも、好きな色のオーブン粘土を選んで作るアクセサリーや、仮面の色塗りなど、通年楽しめるプログラムも充実しており、子どもも大人も楽しめそうです。
真脇遺跡すぐそばの旧真脇小学校では、彫刻家の坂坦道氏の作品がずらりと展示されています。坂坦道氏は、北海道で有名なクラーク像の作者!能登町で生まれ、小学3年生のときに北海道へ移住したそうです。(要予約、予約は縄文館へ)
2020年度中には、縄文時代の丸木舟を起源とする「ドブネ」の資料館もオープン予定。ドブネは江戸中期から記録に残り、昭和30年代の高度成長期以前まで使用されていた能登伝統の木造船です。長さ約14m、幅約2.6mの大きな船は圧巻!船を作るのに使われた道具も展示されます。
変わっていくこと、変わらないこと
真脇遺跡では、晩期の地層から円形に配置された巨大な柱の列「環状木柱列」が出土しました。これがどのような構造で、何のために建てられたものなのかは、今はまだよく分かっていないそう。入り口と思われる位置に立つとちょうど山が見える場所にあることから、「神社のように、神や自然を崇拝するための場所だったのでは」と高田さんは推測しています。
敷地内にある縄文小屋は、発掘された住居跡などをもとに再現したもの。ホームセンターには売っていないような材料を使うので、それらを揃えるだけでも時間がかかります。建材をくくりつける縄や紐も、植物のトルツメを刈り取り、加工して作成。植物は適した時期に刈り取らないと丈夫な材料にならないので、自然のサイクルに合わせて作業を進めたそう。縄文人が使った道具や建築方法を検証しながら、3年かけて小屋が完成しました。足を踏み入れると、焚き火の香りが漂い、居心地の良い空間。どのような暮らしをしていたのか、想像が広がります。
現代はいつでも材料が揃って、大工さんにお任せしたら家が建ちますが、昔はすべて自分たちでやるのが当たり前。とはいえ一人ではできないので、周りと持ちつ持たれつ、助け合って行っていました。自然を崇拝し、助け合いながら小屋を建てて暮らしていた真脇の縄文人。「今の日本の基礎は、縄文時代。自然とともに生きてきた縄文文化が、現代につながっている」と語ってくれた高田さん。穏やかな海や豊かな自然と生きる能登の人々にも、縄文人の想いや文化がたしかに引き継がれているのでしょう。
移ろいゆく自然と豊かに生きた縄文人
空調で暑さや寒さを軽減し、家事や仕事は便利なアイテムにより時短・効率化。そんなものが何もなかった縄文時代にも、人々は自然と共存し、豊かに生きていたのです。現代は快適だけど四季を感じる豊かさは失われつつあるのかもしれない、と感じました。
真脇の縄文人たちの暮らしに思いを馳せながら、「目の前にある自然を感じて生きる」きっかけに。子どもはもちろん、大人にも大きな学びをもたらしてくれる場所です。