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冬の祭りは神様の匂いがした。知られざる能登町の奇祭。

人々の暮らしを支えた祈りの精神

毎年、数百もの祭りや神事が催される能登町。この町に暮らす人々は丸一年かけて祭りを準備し、都会暮らしの私たちには考えられないほどお金と時間を捧げます。町を出た息子や娘に対しても「正月も盆も帰ってこんでも、祭りだけは帰ってこいま」というほど、能登町の人々は地元の祭りを大切にしているのです。

ではなぜ、それほどまでに祭りへと情熱を注ぐのか。それは能登の暮らしと関係しています。

海と山に囲まれた能登町は、はるか昔から農と漁を生業としてきた町。そこで暮らす人々にとって、その年に作物や魚をどれだけ収穫できるかは、生きていく上でもっとも重要なテーマでした。凶作や不漁に見舞われたときも、人々は見えざるものへと祈りを捧げるしかなく、来る日も来る日も大漁と豊作を願い続けました。

神という存在をつねに感じながら、能登町の人々は暮らしてきたのです。

祭りや神事は、そうした風習を儀式化したもの。能登町の祭りといえば7〜9月に開催されるキリコ祭りが有名ですが、じつは冬の祭りにこそ「神に祈りを捧げる」という本質が隠れていたりします。それでは個性あふれる、能登町の冬祭りを見ていきましょう。

あえのこと

あえのこと

とある民家の大広間。静寂な空気の中、紋付袴姿の家主がお供物に向かって、深々と頭を下げています。目の前には、だれもいません。

あえのことは、奥能登の農家に古くから伝わる農耕儀礼。一年の収穫の感謝と翌年の五穀豊穣を祈願し、姿の見えない田の神様を食事と入浴でもてなします。「あえ」はもてなし、「こと」は祭りを意味し、2009年にはユネスコの世界無形遺産にも登録されました。

特徴的なのは、あたかも田の神様がその場にいるかのように演じること。神様を家に案内するときは足元を気にかけ、「まずは一服」とお茶を振る舞い、風呂を沸かしては「湯加減はいかがですか?」と声をかけます。一見すると不思議な光景ですが、これも厳しい自然と戦いながら、農を生業としてきた先祖の教え。神へのもてなしは、自分たちの命をつなぐ行為でもありました。


神膳に乗った料理をひとつずつ説明する家主。じつはこの田の神様は、目の見えない神様として言い伝えられています。料理の内容は家庭によって様々。大地主の家では豪勢な料理が振る舞われ、小作農家はできるだけ質素に神事を済ませたそうです。代表的なものでは小豆ごはんやハチメ、酢の物、煮物、そして甘酒など。どの料理も能登の豊かな自然に育まれた食材が使われています。また、田の神様は夫婦であるため、料理を乗せる膳や盃、箸など、儀礼で使う道具は二組ずつ用意するのが決まりとなっています。

あえのことが行われるのは12月4日と2月9日の年2回。暮れに迎え入れた田の神様はそのまま家の中で冬を越し、春になると田んぼへと送り出されます。また、柳田植物公園内の「合鹿庵」や国重地区では、毎年この神事の実演が一般公開されています。

合鹿庵(柳田植物公園内)
〒928-0312 石川県鳳珠郡能登町字上町 ロ−1−1
TEL.0768-76-1680
実演日/毎年12月5日、2月9日
時間/午前11時頃から神事が行なわれます。

 

アマメハギ

「アマメ〜、アマメ〜」と叫びながら家の中を回る鬼と、それを見て泣きわめく子どもたち。能登町の秋吉地区では、そんな世にも奇妙な神事が節分(2月3日)の夜に行われます。

アマメハギは、簑(みの)をつけ「ガチャ」と呼ばれる鬼や天狗、猿などの面をかぶり、竹で作られた包丁やサイケ(桶)を持った鬼たちが、家々を回る来訪神行事。来訪神とは年に一度、年の節目となる日に人間の世界に来訪する神様のことで、新しい季節を迎えるにあたって怠け者を戒めたり、家々に幸せや福をもたらすとされています。この伝統行事は2018年に「来訪神 仮面・仮装の神々」として、ユネスコの無形文化遺産にも登録されました。

鬼たちが家を回るのは、冬場に家にこもりがちな子供たちを戒めるため。アマメとは囲炉裏や火鉢に長く当たっているとできる「火だこ」のことで、これを引き剥がすのが妖怪アマメハギ。能登ではこの火だこがある者は、怠け者の証とされています。アマメハギに扮するのは地区の小中学生。訪問が終わった後は、家人からお菓子などが差し出されます。

ルーツは当時の役人が、耕作が始まる春を前に農民の怠惰を戒めようと、鬼のような形相で各家を訪問したことから。また、アマメハギは家の災厄を払う神様の化身ともされ、年越しの節目に神様が家々を回るという、日本人の信仰の原型が残されています。

秋吉地区では、このアマメハギの風習を次世代に残すため、衣装や道具、資料などを展示する「アマメハギ伝承館」もオープンしました。

アマメハギ伝承館(秋吉公民館内)
石川県鳳珠郡能登町字秋吉7-5
TEL.0768-72-0006
開館時間/9:00〜17:00
休館日/日曜、月曜、祝日

 

いどり祭

即興で言葉を生み出し、相手と言い争いをするエンターテイメントといえば、フリースタイラップバトルを思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、能登町の鵜川地区にある菅原神社では約480年も前から、そうした「罵り合い」が祭礼として行われてきました。

いどり祭の主役は「餅」。その年に収穫した餅米から作られた餅を神社に奉納し、お祓いをしてもらった餅に対して、町の人たちが言い争いをします。なぜ、わざわざ言い争いをするかというと、餅の悪口を言い合うことで来年が豊作となり、さらに良い餅ができるという言い伝えがあるから。「いどり」は能登弁で、相手に難癖をつけたり貶(けな)すという意味だそうです。

言い争いをするのは、その年に大鏡餅をつくる当番役と、翌年に大鏡餅をつくる陪賓役。両者は6つの町内が持ち回りで担当します。祭りが始まると、まずは陪賓が小餅に対して「薄い」や「形が悪い」といった難癖をつけ、それに対して当番が色々な理由をつけて弁明します。ユーモラスないどりや弁明もこの祭りの見所。「こんなしわしわな餅だれが食えんて、うちの母ちゃんよりしわくちゃやぞ」などのパンチラインには、会場から大きな笑い声も起こります。

クライマックスになると、男衆のみでつくった直径1.2mの大きな鏡餅が並べられ、さらに出来栄えを言い争うことに。ネイティブによる豪快な能登弁にも拍車がかかり、お互い一歩も譲らぬいどりの応酬。当然、容易には収まりませんが、最終的に宮司が仲裁に入って万事解決。来年の豊作を祈願して、祭りは幕を閉じます。

 

石仏山まつり

粉雪が舞う中、列をなして山道を進む男衆。静寂を切り裂くように鳴り響く太鼓の音。行き着いた先には、しめ縄をした巨大な石がそびえ立っていました。

石仏山まつりは、能登町柿生の神道地区に伝わる祭礼。毎年3月2日に、社殿のない神社として尊崇されてきた祭祀遺跡・石仏山で、粛々と神事が執り行われます。この石仏山は俗にいう結界山であり、現在でも女人禁制の霊山として、14歳に達した女性は境内に立ち入ることができない不文律があります。

打ち鳴らす太鼓を合図に石仏山に入り、坂道を登ると、山腹の霊地に祀られた高さ2.7mの巨大な石が鎮座。これが石仏山の御神体。男衆たちが巨石の前に集まり、神饌(しんせん)を備え、その年の豊作を祈ります。

神宿る山として今もなお地元の人々の信仰を集め、斧や鉈などの刃物を持っての入山を禁止するなど、古代祭祀の変遷を示す遺跡がほぼ手付かずの状態で現代まで受け継がれている石仏山。この遺跡は縄文時代から伝わる日本人の教えである古神道の形を今にとどめ、その意味からも類例のない貴重なものとされています。縄文人の信仰は、山、川、風、火、岩などの自然崇拝。能登の祭りには、縄文の血が強く流れているのです。

 

不思議な魅力で、見るものを惹きつける能登町の冬祭り。一見すると変わった所作や儀式も、その背景には厳しい自然の中、神仏にすがる思いで生業を守り続けてきた人々の姿があります。農山漁村・能登町の暮らしには、自然の神々に感謝し、祈願する伝統が、いまもなお深く根付いているのです。

記:吉岡 大輔

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